清山会グループからのご案内

ナラティブRBA奨励賞

2017.08.01

2017年8月ナラティブRBA賞受賞 グループホームはごうの杜 平澤 文さん

今回のナラティブRBAは、はごうの杜開所当時から共に歩んできたKさんと私達との物語です。

 Kさんとは、先述した通り平成22年7月にはごうが開所したと同時に出会いました。旦那さんも隣のユニットにおり、Kさん想いの旦那さんは何度も何度も奥さんのいるユニットに足を運んでいたのを覚えています。慣れない場所で不安で不安でしょうがないKさん。「警察呼んで下さい!」そう訴えるのは毎日決まって夜中。両脇にたくさんの荷物を抱えてスタッフに必死に訴えかけるKさん。時にはその声を聞きつけて隣のユニットから旦那さんが様子を伺いに来られることもありました。スタッフもどうにか落ち着いてもらおうと必死!Kさんも必死!とてもパワフルなKさんに押され気味のスタッフ。やがて疲れて眠りにつくのを待つ、といった毎日でした。 数年経過し、パワフルKさんはいつの間にか影を潜め、穏やか笑顔のKさんへ!今となっては、かつてのパワフルKさんを知っているスタッフははごうに3名しかおりません…。 そして平成26年8月に最愛の旦那さんとのお別れを経験した後、現在へ…。

 今年の6月。相変わらずニコニコを周りに振りまくKさん。…あれ?でもちょっと最近元気ない…?なんとなくご飯も自分で食べようとしなくなったかな…?いつもそばにいるスタッフさんがいち早く気付きました。そうとなったら、様子観察なんかはすっ飛ばして、まずは病院!すぐにかかりつけ医を受診しCT撮影をした結果、Kさんの肝臓には多数の腫瘍の影が…。末期の肝臓がん。まさに青天の霹靂でした…。
あんなに笑いかけてくれたのに…。まさかあのKさんが…。どうやって家族に伝えればいいの…?
たくさんの方の最期をお看取りしてきた経験豊富なスタッフさん達なので、否が応でもこれからKさんが辿るであろう経緯が頭に浮かびます。「もう誰かとお別れするのは勘弁…!」 誰もが現実を受け止められないでいましたが、「夏まで持たないかもしれない」という先生の言葉に、皆、心動かされました。
この辛い現実をご家族へ伝えましたが、動揺を隠しきれていないのがすぐ分かりました。「これからどうしたらいいのでしょう…」と不安を口にする娘さん達を前に言葉が出ない…。まだ受け入れられない娘さんは、もっと詳しい検査を望みましたがその検査には苦痛が伴います。娘さんの気持ちも分かる…でも、Kさんは残り少ない人生をどう生きたいと想っているのかな…。丸7年一緒に過ごした家族同然のKさん。私達もなかなか結論を出せないでいました。「夏まで持たない」と話した先生の言葉が頭に過ぎり、はやく決めなきゃ!と焦りが募ります。数日後娘さん達は、このまま詳しい検査をせず、はごうでゆっくり最期を迎えて欲しいと決断しました。「お母さんもしゃべれたらきっとそう言っていたと思います。痛いの嫌いだから…」娘さん達はKさんの想いに寄り添ってくれました。
 私達はより一層Kさんとの一日一日を噛みしめて過ごすようになりました。最初は頷いたり、手を伸ばしたり、想いを表現してくれたKさんですが、日毎に出来ないことが一つずつ増えていきました。言葉で想いを伝えることが出来なくなったKさん。でもスタッフさんは丁寧に丁寧に言葉を掛け、何とか想いを汲み取ろうとしてくれました。「Kさん~今日はお外晴れですよ~!」「この体勢辛くないですか?」「Kさん~今何考えてるのかな~?」ちょっとでも顔が綻ぶと、うわぁ~!と一気にユニットの中が活気づきます。Kさんにあれこれしてあげたい想いを少し抑えつつ、今この瞬間Kさんは何を考え、どうしたいと願っているのかイメージしながら、スタッフさん達は行動してくれていたと思います。私達の想いばかりが先行してしまわないように…。  頻繁に会いに来てくださる娘さんもたくさん話しかけます。「今日は○○持ってきたよ~」 どんどん状態が悪くなるKさんを目の当たりにして毎日心を痛めているはずですが、娘さんはいつも笑顔でした。Kさんを囲んで娘さんと話すのはいつもパワフルKさんだった時の話。「あの時はじーちゃん(旦那さん)でもどうすることも出来なかったもんね~!ばーちゃん聞いてる~?」いつもKさんのそばには誰かが居て、笑い声が聞こえていました。

 7月31日、突然の血圧低下に嫌な予感がした朝。あっという間に呼吸状態が変化し、夜中、ご家族さんに見守られながらKさんは息を引き取りました。ずっと意識がなかったのですが、最後の最後の一呼吸で突然大きく目を見開いて私達を見てくれたKさん。「Kさん!見える?大丈夫!大丈夫だから!」 もう息をしていないKさんを皆でさすりながら数分間声を掛け続けていた光景が忘れられません。もう息をしていないのは皆分かっているはずなのに、誰もそのことは口にしません。このままずっとKさんに触れていたいと思いました。 Kさんは最期、何を私達に伝えようとしていたのでしょうか…。「じゃあね!」とKさんらしくお別れを言ってくれたのでしょうか…
「誰にも負けない強い子に」が名前の由来であるKさん通りの、パワフルで素敵な人生だったと思います。私達は最後の7年間のKさんしか知りません。しかし、娘さん達にこれまでのKさんの人生を聞き、たくさんの想いを実現させ共に歩んできた7年は、7年間分以上の想い出が詰まっているような気がします。
 実際にKさんの想いを受け止められたかどうかは分かりませんが、肝臓がんが発覚してから、スタッフさん達は本当に必死にKさんに問いかけ、時にはKさんの心の言葉を待ち、行動に移してくれました。そのスタッフさん達の想いはKさんに伝わったと信じています。
スタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした!
そしてKさん、大往生!90歳!今まで本当にありがとう!

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