清山会グループからのご案内

ナラティブRBA奨励賞

2022.12.31

2022年  ナラティブRBA賞受賞 グループホームはるかの杜 木村 優 さん

「私の声、届いてますか?」~Yさんと私たちの物語

様々な事情がありYさんは、以前入居されていたGHを退居され平成30年12月はるかの杜に入居されました。
いくつか検討されていた施設の中で「一番雰囲気が良かった」とご自身ではるかの杜を選んで頂きました。
Yさん、ご家族ともにグループホームに対するイメージがあまり良くなく入居には不安な気持ちが強くあったかと思います。
Yさんはご自身で洋服をリメイクされるなどおしゃれが大好きで外出前のコーディネイトは入念です。
また、バスガイド、結婚式の司会、ヘルパー等の仕事をされ人と関わる事が大好きで曲がったことが嫌な女性です。
他利用者さんと関わっている私たちの姿を見て「今の声のかけ方、言葉遣いはダメだよー!」と厳しくご指導いただいた事も多々ありました。
厳しい面もありましたが「〇〇さんに会いたいな~〇〇くん大丈夫かなあ?」など異動や退職したスタッフを気にかけてくれるなど、、、情深く優しい女性です。
Yさんは進行性核上性麻痺という難病があり、まっすぐ歩くことが困難だったり、うまく話すことができなかったり、食べ物を飲み込みづらかったりと様々な障害があります。
入居当初、、、「病気になって悔しい」、「まだ働けたのよ」この身体になって「介護される気持ちがよく分かった」と涙ながらにスタッフに語りかけてくれたこともありました。
私たちが想像する以上に苦しく、辛い日々を送っていたのではないか?と思います。
そんなYさんと私たちとの関わりの中でこれまで様々な物語がありました。
入居者さん、スタッフにコップや靴を投げる。
ティッシュやリハビリパンツ、洋服を破っては口に入れてしまう。
居室な様々なものを壊す、、、。
蹴る、つねる、、、スタッフの服ものびのび、、、それを見ている入居者さんたちも冷たい目線、、、。
思う様に身体が動かない、思うように話すことができない、、、
一番、苦しかった、辛かった、困っていたのはYさんなのに、、、、気づくとYさんを困った人、、、そんな風に思ってしまうことが度々ありました。
正直、「頼むからYさんおちついて~」とそんな風に思うことも多々ありました。
転倒や転落の危険性が高く、、、時に安全を優先してしまい、、、それが引き金となり、、、別人にさせてしまうこともありました、、、。
しかし、気持ちがおちつくと決まって 「ごめんね~ありがとう、、、」。
その言葉を聞く度に、、、一番辛いのはYさん、、、困っているのはYさん、、、。
Yさんをもっと理解したい、、、少しでも穏やかな気持ちで生活してもらいたい、、、。そんな想いがスタッフそれぞれにありました。
Yさんの病気や障害について改めて理解を深めるために、、、主治医の先生からアドバイスを頂いたり、スタッフみんなで勉強会を何度か行いました。
また、娘さんやご家族も交えながら定期的に話あい行いYさんを知ることを大切にしました。
しかし、私たちの想いとは裏腹にYさんは日に何度か、、、大暴れ、、、。
ベッドからの転倒も続き、、、骨折など大きな事故がおきてもおかしくないそんな状況がしばらく続きました。
このままではいずれ大きな事故が起きる思い、、、改めて家族さんと話し合い、、、苦肉の策で居室のベッドを撤去、畳を敷くことになりました。
案の定、、、Yさんは前にも増して大暴れ。
Yさんは望んでいなかった、、、。Yさんの声を聞かず、物事を進めてしまいました。
はるかの入居もYさん、ご自身が決めました。
Yさんはいつだって自分で決めないと気が済まない。
そんなYさんを私たちは知っていたはず、、、しかし、安全面や家族の意向を優先してしまいました、、、。
再び、Yさんを交え転倒や転落の危険性などを伝えながら話あいを行いました。
しかし、Yさんからの答えは、、、「骨折してもいいからベッドがいい」とぶれないYさんの姿がそこにはありました。
その答えを聞いて、ご家族の方も私たちも本人の希望を尊重し、実行に移しました。
(再び運ぶなど、ふたばのスタッフさんにもご協力頂きました)
Yさんの望む生活を送る中で、、、再びYさんらしさが戻ってきました。
丹野さんの本やYouTubeでのメッセージを熱心に聞かれ「私も頑張ります」と涙されることもありました。
また、新人スタッフへのアドバイスや管理者に伝えたいことなど、、、自ら紙に書いて下さるなど、積極的なYさんらしい姿がありました。
Yさんらしく生活していく中で、、、以前入居されていたグループホームの管理者さんに会いたいと話があり、アポをとり面会に来て下さったこともありました。
しばらくの間、、、涙がとまらないご様子でした。
穏やかな日が続いていたある夜、ベッドからの転落で右大腿骨を骨折。
入院、手術となりました。術後は「はるかの杜に早く帰りたい」との一心でリハビリを熱心にされ、、、10日で退院されました、、。
(入院先ではやはり、転落の危険性が高くベッドではなく、、、床にマットを敷いて過ごす日々だったため、、、、毎日大暴れだったようです、、、)
退院後はスタッフKちゃんが心配だから「私、結婚してあげます」と入院中も彼を気にかけてくださっていたようです、、、。
骨折した当日、夜勤担当がKくんでした、、、Yさんは責任を感じているKくんを気にかけてくれていたと思います。
ちなみにKくんは、、Yさんに「嫌い」と言われるくらい嫌われておりましたが、、、骨折を期にYさんが大好きなスタッフに変わりました、、、。
退院後もやはり、、、ベッドが良いとの事で、、、Yさんの意向を大切にし、万が一転倒しても大きな怪我につながらないようにベッド周辺の環境をなど工夫を重ねました。
食事は以前にも増して嚥下状態が悪くなり、咀嚼が途中で止まったり、口の中にごはんが入ったまま眠ってしまう場面が多く、
体重も少しづつ減少、意欲的なYさんらしさが、、、、徐々になくなっていきました。
なるべく栄養をとってもらいたい、、、普通食のままだと、、誤嚥のリスクが非常に高い。
しかし、「みんなと同じ食事を食べたい、、、」そんな思いがYさんにはありました。
ベッドの時と同様に、、、様々な葛藤がありました。
しかし、食事に関しては、、、窒息、、、命の危険もあります。
「骨折してもいい」、、、本人がそう言ってるなら骨折をしてもいいのか??
「みんなと同じものが食べたい」、、、本人がそう言ってるなら普通食を提供し、誤嚥で詰まらせて窒息死してもいいのか、、、? 私たちは介護のプロです、、、。
対話を繰り返しながら、、、合理的な配慮により、、、事故を未然に防ぐ必要もあります、、、。でも正直、難しいことも多々あります、、、。
でも諦めたら終わりです。合理的配慮に至る工夫が必要です。
何をどうしたらいいのか??たくさん悩みました、、、。
どんな食事だったら召し上がって頂けるだろうか?
誤嚥についても改めて理解を深めました。
STの島田さん、看護師の橋本さんにもご協力頂きました。
誤嚥や窒息のリスクなど説明をし、Yさんに対する私たちの想いなども伝え、本人了承のもと食事形態の変更を行うことにしました。
「食べやすい」と食事も以前よりスムーズに召し上がり、食事量も少しづつふえていきました、、、、。
そんなある日、「あなた、これ食べたことあるの?」とスタッフに話されました。
Yさんは遠慮し、我慢して食べいることに気づくことが出来ていませんでした。
私たちは気づかぬうちに少しでも食べてもらいたい、、、、それだけが先行し、食事の楽しさだったり、Yさんの想い、分かっているようでわかっておりませんでした・・・。
対話をしていたのではなく、、、、納得できるように説得していただけなのかもしれません。
誤嚥時のリスクを説明しながら改めて家族さんと相談し、定期的にYさんがお好きな牡丹餅など召し上がって頂く機会もつくりました。
(誤嚥時の対応も改めて理解を深めました)
やはり大好きなものはペロリと召し上がるYさん。
(すべて飲み込むまで内心、ひやひやでしたが、、、)
しかし、徐々に食事量は低下、嚥下の状態も悪くなり、体重も大きく減少していきました、、、。
胃ろうに関しては、本人、家族ともに望まず、点滴をする時間がふえていき、受け答えもやっと、、、そんな日々が続く中、、、
「さくらを見に行きたい」とYさんからの声があり娘さん、介護、看護スタッフで三神峯公園で桜を見に行きました。
その1週間後、令和3年4月3日 Yさんは家族さん、スタッフに見守られ、旅だたれました。
ご自身の希望を最後の最後まで話して下さいました。
けれども、、、遠慮して言えなかったことも多くあったのではないでしょうか、、、?
介護士の大先輩のであるYさんの言葉一つ一つが介護の現場で働く私たちへのメッセージだったように感じます。
本人の意思を尊重しながら同時に、事故や危険を回避する必要性も私たちにはあります。本人の権利を守っていく、、、ご家族さんの意向もあります、、、
その中でたくさん悩んだり、葛藤することも少なからずあります。
権利を守る、意志を尊重する、、、障害を理解し、対話をくりかえしながら本人の思いを知り、その人への合理的配慮、工夫がいかに必要か?
Yさんとの関わりで改めて痛感致しました。
そして、何よりご本人の声を聞くこと、本人ぬきで決めないこと。
声にならない声に耳を傾けていきたいと思います。
最後に、、、時にご指導いただいたり、時にわれわれと一緒に悩み、考えてくださっていた娘さん、ご家族さんにも感謝したいと思います。

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