震災復興メール
2011.03.21
友人のこと
お疲れさまです。山崎です。清山会MLから送信します。
営業再開にむけて清山会MLを活用しようと、なんどもパソコンに向かいました。けれども、ことばがでません。ことばがでないのは、放ったことばの鈍感さを恐れるからです。たくさんの人が不安を抱えながら、あるいは無念な思いをこらえながら、それでも何気なさを装って日常を耐えています。お年寄りを守ろうと、職場をなげだすことなく健気にはたらくまだまだ若い職員たちをみていると、胸が締めつけられる思いでした。。
小生の故郷は三陸の大槌町です。津波にのまれ、炎につつまれて、たくさんの人が亡くなりました。ラジオから流れる惨状に絶句しながら、生まれ育ったあの家や土手や広場や学校のこと、お盆にはいつも集まって楽しく騒いだ幼なじみのたちことが、ずっと頭を離れませんでした。たまらず電話をして、もう居ないかもしれない友人たちの留守録に、また飲もうな、と呟いたりもしました。
土曜の夜遅く、津波を生きのびた友人とようやく電話がつうじました。ことばの少ない、ただむせぶ息づかいばかりの長い電話でした。彼にはもう妻も子も、家も仕事もありません。なにもかもが一瞬で失われてしまいました。なまなましい体験とともにあふれだす嘆きや絶望に、自分はただたじろいで聞き入るだけでした。
神も仏もあるものか。そう思います。海をこよなく愛した小さな町のつましい人たちです。かけがえのない故郷を容赦なくのみ込んだ海を、自分は怨みます。怨むことがたとえ天に唾することだとしても、自分は打ちふるえながら怨まずにおれません。こんなことが許されていい筈がない。遺体であがった漁協の友人は、堤防の門を閉めるためにギリギリまでがんばっていたそうです。
「悲観主義は気分であるが、楽観主義は意志である」(アラン)。平静、小生が好んで自分に言いきかせることばです。その意志がどうにも白々しくて、今はふさわしくないような気がします。けれども、なにもかも失ったはずの友人は、ふりしぼるように「生きねばなんねえ」といって電話をきりました。神や仏という壮大な楽観が意志の所産であるとすれば、それは自分たちの外にはじめからあるのではなく、ふりしぼる意志で懸命に生きようとする彼のような人間の内にこそ与えられるのであってほしい。心からそう願わずにはいられません。