清山会グループからのご案内

震災復興メール

2011.04.05

石川学

お疲れ様です。わかなの杜の石川です。何かを成し遂げる為には『いかに一つになれるかどうかが大事!』今回の災害で特に学んだことでした。早いもので災害が発生して3週間以上が経ちました。また今回の災害をこうして乗り越える事が出来たのも沢山の【仲間】の存在があったからに違いありません。特に塩原さん、冨沢さん、志麻さん、梅村さんの存在は本当に頼もしく、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有り難う。彼らがいたから今回の危機を乗り越えることができたに違いありません。 私は災害当日ゆかりの杜にて猪股くんと面談をしておりました。最初は少し大きめな地震くらいと侮っていたら棚がバタバタと倒れ、非常事態だとやっと気づいた私は急いで1Fへ降りてくるとそこには利用者さんを必死で守っている冨沢さんの姿がありました。冨沢さんより「ここは大丈夫ですからわかなの杜に戻って下さい!」と力強い言葉をもらい、わかなの杜へ戻る為に車に乗り込み急いで戻ることに・・・。すでにその時信号機、踏切などの交通機関がマヒしており何とかわかなの杜へ戻ってくるとすでに外へと避難誘導を指示している塩原くんの姿が・・・。塩原くんより「大丈夫だ!」と冨沢さん同様に力強い言葉をもらい、今後はDSみ杜へ。 DSみ杜へ到着すると小柄な体系にも関わらずみんなを必死で守る志麻さんの姿がありました。そこでみんなの安否の確認をし、GHみ杜へ。冨沢さん、塩原さん、志麻さん、同様に必死でみんなを安全なところへ誘導すべく先頭に立っている梅村くんの姿がありました。本当にこの4人には頭が下がります。災害中、家族の事や、また自宅が半壊になり自分が一番大変な状況にも関わらずいつも利用者さん、職員の事を気に掛けるやさしい冨沢さん。家に帰ろうと思えば帰れるのに落ち着くまでは帰えらずにわかなの杜にて寝泊りすると決意する責任感の高い塩原くんと志麻さん。ほどんと休まずそして、家に帰らず私たちとは少し離れた所で一人さびしい状況にも関わらず不安と孤独と戦っていた我慢強い梅村さん。もちろん他のスタッフの協力もあり乗り越えることが出来たのですが、特にこの4人が勇気と自信を私に与えてくれたお陰です。今回、一緒に乗り越えることで【絆】が深まったと感じます。実はこの4人以外でも私に勇気と自信を与えてくれた職員さんが居ました。それはいずみの杜の川井さんの存在でした。何度か機会がありいずみの杜へ行った際、私より苦しい状況や環境にも関わらずいつもと変わらないあのやさしい笑顔で利用者さんや職員を接する川井さんの姿が目に飛び込んできました。こんな時だからあわてず、イライラせず、どっしりと笑顔で構えるそのリーダーとしての資質と覚悟、そして懐の深さにとても刺激を受けることで勇気と自信をもらえることが出来ました。(また、いずみの杜の役職の動きも素晴らしく、本当に事業所、職種を越えて一つになっていたように思います)直接言うのは恥かしいのでメールにて感謝申し上げます。ありがとう御座いました。 更に今回の災害を乗り越えることで【絆】の他に職員さん【個々の底力】も養ったように感じます。わかなの杜でもいずみの杜同様にゆかりの杜、DSみやぎの杜の職員さんと同じ屋根の下で働きました。更にみはるの杜の看護まで合流し本当に複合チームで仕事することで色々な職員さんの考えや関わり方を肌で接することができ、個人力の向上にも大きく繋がったように思います。まさに【縁】が【財】を生むのだなとも感じました(GHみ杜は同じ屋根の下でとは行きませんでしたが毎日色々な職員と様子を見に行ったり、また現場のヘルプに入ったりし少しでも力になれればと動いておりました) 今回、災害を通し一つ屋根の下で仕事することで職員同士はもちろんのこと、事業者間を越えた【絆(仲間)】も生まれそれが【団結力の深化】にも繋がったように思います。現在は各事業所に戻って仕事をしておりますが今回生まれた【絆(仲間)】や【チームワーク(団結力)】で今後も訪れるであろうピンチをチャンスに変えて行ければと思っております(もちろん、みはるの杜も含め)。また、宮城野地区だけに留まらず他の地区とも協力しあいグループ全体のチームワーク(団結力)が一層深化していけるように、そして同じ岩手県水沢出身である偉人の後藤新平が関東大震災後に東京の都市復興計画を立てたように10年後を見据えた『グループ全体の復興』をまだまだ微力ではありますが通じる仕事をして行きたいです。今後ともみなさんどうぞ宜しくお願い申し上げます。 また長々とまた偉そうなでまとまりのない文章で大変失礼いたしました。今回も私の文章にお付き合いをして頂いた皆さんに感謝です。
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